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一生懸命英語を勉強したのに相手が何言ってるのか全然わからないのはなぜなのかやっとわかった

私は中一で英語の授業が始まった。私は教科書を暗記するほど何度も読み、問題集も良くやり、テストではいつもほぼ満点だった。そのおかげで今でも読み書きには苦労していない。でも40近くになって、いまだに声が聞き取れない。その一方で、中学(今なら小学校?)からの勉強は大してせず、大人になってから勉強した人が読み書きはともかく、口頭ではペラペラ話してたりする。なんでこんなことになってしまったのか、最近ようやく気が付いたので、ここに書いてみる。 私の中学のときは、おそらく日本の科学技術はアメリカに後れを取っていて、向こうの優れた論文などを読んで理解するという能力が重要視されていたと思う。授業ではほぼ読み書きのみだった。一応暗唱はあったものの、ハウ アー ユーとか アイ ハブ ア ペン とか、書いてある通りに読み上げるだけの練習で、本来の声とは全く異なる声を一生けん命発してたわけだ。 私は著名な進学校にトップクラスで進めるほど一生懸命勉強した。もちろん読むことと書くことを。しかし耳が不自由な人でない限り、読み書きするときに、頭の中で声が必要になる。それがどういうことかというと、つまり私は本当の声をしらないまま、自分で勝手に声を作り上げ、それを一生懸命勉強したため、頭に定着それがこびりついてしまったということだ。 相手の言っていることがわからないのは当たり前だ。自分の知らない声を認識できるわけがない。 私はこの間違った声を頭から追い出すリハビリ(やさたく方式で)に何年も取り組んでいる。少しずつ成果はあり、よく話す機会がある人が、私に向かって話している場合はかなり聞けるようになった。でも、プレゼンなどで大勢に話している場合や、あまり話したことが無い人の場合は、ほぼ聞き取れない。 思うに、中学の時の間違った勉強方法を信じて一生懸命勉強した人ほど、後のリハビリが長引くのではないだろうか。また、技術者のように、理屈を理解して自分に浸透させることが得意な人ほど、この罠から抜け出せないでいるのではないだろうか。例えば音読によるリハビリで、アメリカ人のまねをしてしゃべることはある程度簡単にできるようになる。話す前に、頭の中で声を作り上げてしゃべることができるからで、その工程は技術者気質の人の得意とするところだろう。でも一方で、聞くという、感性にしみこませないといけないようなもの